(2)お金とは・・・以外と分かっていないお金の本質

お金とは何か?こう素朴な疑問を考えるときは、広辞苑を引くことから始めることが多いですので、やってみましょう。広辞苑によると以下の通りです。

 お金(金)・・・貨幣としての黄金など。

なるほどお金は貨幣だそうです。では貨幣は?

 貨幣・・・強制通用力を有する貨幣。狭義には現金。すなわち、本位貨幣・紙幣・銀行券・補助貨幣の総称。法貨。広義には、預金通貨をも含める。

うーむ。まとめると、お金というのは主に紙幣や硬貨ですが、それに銀行預金も含めることもあるということですね。でも、これだと単に「お金はお金だ。」と言っているだけに見えます。

広辞苑ではこれが限界ということで、それでは経済学ではどう考えているかを見てみましょう。お金と言って真っ先に思い浮かぶのは硬貨や紙幣ですが、これらは一体なんで価値を認められているのか、それに対する一般的な説明は次の通りです。

「原始時代、まだお金が発明されていないころ、人々は物々交換に頼るしかなかった。物々交換はたまたまある時ある場所で、2人の人がそれぞれ相手が必要としているもの、かつ自分には必要ないものを持っていて初めて取引が成立することになるが、これでは不便きわまりない。そこで、皆が価値を認めるような金(ゴールド)のような「商品」を介在して取引を行うようになった。これが貨幣の始まりである。ただ、金は持ち運びにも便利とは言えないし、取引に適切な量を計るにのにも手間がかかるため、その後、金に代わって政府発行の紙幣が用いられるようになった。」

この説明は、貨幣の価値を金のような商品の素材の価値に求めるということで、商品貨幣論と呼ばれています。学校でもこんな風に教えているのではないかと思いますし、我々が普段の生活をしていく上では、特に違和感のない説明だと思います。

ところが、最近、この説明ではうまく理解できないか、誤解を生んでしまうような場面が出てきています。それは私たちの家計や企業だけではなく、政府もいれた経済全体を考えるような場合です。貨幣=ゴールドであるならば、お札を刷る政府は錬金術師か?という話になります。そしてお札を刷る行為が錬金術であれば、それは基本的には禁じ手だと思えますし、たとえ政府であろうとも借金をすればそれはいつかは返すのが常識で、行き過ぎるといつか倒産するというイメージに結びつきます。これはかなり強いイメージで確信に近いものを持っている人もいるかもしれませんが、実はこの議論は常に正しいわけではないことが分かってきました。

詳しくは後述しますが、典型例は日本です。アベノミクスになってから、異次元の金融緩和とまで言われるような大規模な量的緩和策、つまり日銀が民間銀行が持っている国債を買い上げ、その代金をお金を発行しまくって渡す事を続けてきました。もともと2%くらいのインフレを起こそうとしてやったわけですが、インフレも金利上昇も起きませんでした。お金を刷るという行為は、錬金術は言い過ぎだとしても、学校でも教えているようにインフレを引き起こす行為ではないのでしょうか? 

貨幣についての説明に話を戻しますと、上述のように貨幣についての伝統的な説明である、「商品貨幣論」では説明が難しいことが起きています。これに対して、「信用貨幣論」というものがあります。これは貨幣を債務証書、つまり約束手形のようなものと見ることにより説明しようというものです。

この話を聞いた人の中には、お金と約束手形とは全く別のものでは?思う人もいると思います。でも英語の”note”という単語には、約束手形という意味と紙幣という意味の両方がありますよね? 私も学生の時、どうして約束手形と現金が同じ単語なんだろうと思ったことを思い出します。これは最近もう少し掘り下げて歴史を見ていくと理解できます。

Wikipedia等の情報によると、銀行券(お札)の先駆となったのは17世紀にロンドンのゴールドスミス(金細工師)が発行した約束手形である ゴールドスミス・ノートだそうです。金を保有している市民は、盗難のリスク等も考え、金をゴールドスミスに預けに行きます。ゴールドスミスはこれを大きく安全な金庫で保管しますが、その際に金を預けた人に渡すのがこのゴールドスミス・ノートです。

例えば1gの金を預けた人に対しては、「この約束手形を提示した人には1gの金をお渡しします」という内容が書かれたゴールドスミス・ノートを渡しました。金を預けた人が誰かから金1g分の買い物をしたときには、ゴールドスミスのところに行って、ゴールドスミス・ノートと引き換えに1gの金を返してもらい、それを代金として渡すことができます。

でも、いちいち金を出し入れするのは面倒だということで、次第にゴールドスミス・ノート自体を代金として商人に渡すようになったそうです。商人もこのゴールドスミス・ノートを持って行けばいつでも実物の金を引き出すことができます。これが紙幣のはじまりです。

お金というのは、発行者による約束手形(借用書)のようなものと言うことがその起源から分かったと思います。貨幣=金というイメージを捨てて、単なる「借用書」だというイメージを持つことがここから先の理解に非常に重要となります。引き続きお付き合い下さい。

ところで、先ほどのゴールド・スミスさんですが、彼はあることに気付きました。それは、金を預けた人はゴールドスミス・ノートで用が足りてしまい、実際に金を引き出しに来る人は全体の10分の1くらいにすぎないことを。そして、ゴールドスミスさんは考えました。それならば別に金庫に金がなくても、ゴールドスミス・ノートを発行できるのではないか。そしてそれを人に貸せば、利息が手に入るんじゃないかと。そして実際にそれをやって大儲けしたそうです。 これが銀行の原型です。

イギリスポンド紙幣について

ところで、ゴールドスミス・ノート(金の預かり証)が銀行券の起源になったということについて、実は今でもその名残があります。以下は現在のイギリスのポンド紙幣の写真です。

イギリスの10ポンド紙幣

赤く囲った部分を拡大したのが下の写真になります。

10ポンド紙幣拡大写真

「I promise to pay the bearer on demand the sum of ten pounds. (私は本券の所有者から要求があった場合、10ポンドの支払いを行うことに同意します。)」と書いてありますね。イングランド銀行のWebサイトのFAQにはなぜこの文言が書かれているか、以下のような説明があります。

This phrase dates from long ago when our notes represented deposits of gold. At that time, a member of the public could exchange one of our banknotes for gold of the same value. For example, a £5 note could be exchanged for five gold coins, called sovereigns.However, the value of the pound has not been linked to gold for many years, so the meaning of the promise to pay has changed. You can no longer exchange banknotes for gold. You can only exchange them for other Bank of England banknotes of the same face value. 

本文の説明通りですが、この文言は紙幣が金の預かり証だった頃の名残で、昔は例えば5ポンドの紙幣を持って行くとソブリン金貨5枚と交換してくれたそうです。とうの昔にそういった金との交換保証は残っていませんが今でもその文言を残している。歴史と伝統を重んじる英国らしいですね。

さて、イギリスポンドの他にこういう文言が書いている紙幣がないか、手持ちの紙幣を見てみました。米ドル、ユーロ、シンガポールドル、日本円、ディルハムにはどうやらそういう文言はなさそうでしたが、一つ見つけました。

下はインドの500ルピー紙幣の写真です。ガンジー様の右にある文字に注目です。

インドの500ルピー紙幣
500ルピー紙幣拡大写真

これが拡大写真です。「I promise to pay the bearer the sum of five hundred rupees.」とあります。イングランド銀行と全く同じ文言でした。これはかつての宗主国がイギリスであった名残なんでしょうね。